第五話 「急襲」



 夜。

 パーシファルら騎士団は、ノウィッチを眼下に据える丘に野営の天幕を張っていた。
 明日の朝には、都市に蔓延っているであろう、ならず者達の掃討作戦が始まることになっている。

 ほとんど歩きづめの強行軍だったとは言え、流石に4日間の行軍程度で音を上げる兵士は居ない。
 しかし行軍の疲労は着実に貯まっており、見張りとして立っている一部の兵士以外は、ほとんどの者が深い眠りについていた。
 明日の戦闘を意識しているのか、眉間にしわを寄せたまま目を閉じている壮年の騎士達も居るが、軍中の多くを占める若い兵士達は、野営用の薄汚れたシーツの上で思い思いに眠りこけている。
(あぁ、ミランダ……今回の遠征が終わったら、君に正式に結婚の申し込みをするんだ……君の父上は僕の事が嫌いみたいだけど、僕と君との愛はどんな障害でも乗り越えられるはずさ……)
 どことなくニヤけながら眠りこけているのは、第4騎士団旗下の若い兵士である。
 しかし彼の幸せな夢は、乱暴に天幕に入って来た同僚の強烈な蹴りによって遮られることとなった。

「……きろ……起きろ…!……おいロニー!早く起きろって言ってんだよ!!」
 容赦など微塵も感じられない蹴りは、ロニーと呼ばれた若い兵士をシーツの上から吹き飛ばす。
 頭部を襲う激痛と共に、瞼の裏に星が散る。先ほどまで見ていた幸せな夢も、何処かへ吹き飛んでしまった。
「……ってぇな!何すん………」
 安眠を邪魔した同僚の暴挙に、ロニーは抗議の声を上げようとした。しかしその言葉は最後まで続く事は無く、尻すぼみに消えていく。

 悲鳴。奇声。金属のぶつかる音。そして血の匂い。

 それら全てが混ざり合って、周囲に充満している事に気づいたからだ。
「お、おい、何だ!?いったい何が起こってるんだ!?」
「この状況見りゃ分かんだろ!敵襲だ!」
 叩き起こしに来た同僚は振り向きざまに、背後から長剣を突き出して来た商人風の男の股間に強烈な蹴りを叩きこむ。
 急所を潰された商人風の男は、ぎぇ、とカエルの潰れたような悲鳴を上げてうずくまった。
 「モタモタしてんじゃねぇ!さっさと鎧を着ろ!」
 「あ、あぁ!」
 急いで鎧を身に付けるロニーを背後に守るように、同僚の男は剣を構える。
 天幕の外には敵の影が無数にちらついており、どこの天幕も混乱からは立ち直っていないように見えた。
「クソッ、敵影はどこにも無かったんじゃないのかよ!物見の奴は何をしてやがったんだ!」
 同僚の男が吠えるのと同時に、背後でぐぇ、と声がした。
 振り返ると、鎧を着かけのロニーが、喉を割かれて絶命している。
 いつの間に入りこんだのか、絶命したロニーの喉からナイフを抜いた夜盗のような風情の男は、続いて同僚の男に向かって襲いかかって来た。
 同僚の男は舌打ちして身構え、夜盗風の男が突き出してきたナイフを籠手でいなし、ほぼ同時に剣を首筋に叩きこむ。ぎゃっと悲鳴を上げ、夜盗風の男は絶命した。
 しかし、まるでそのタイミングを見計らったかのように、背後から更に殺気が放たれる。
 素早く振り向いた同僚の男の眼に映ったのは、鬚だらけの巨漢が振り下ろす、伐採用の大斧。
(間に合わない――!)
 そう頭の中によぎった直後、同僚の男は頭を粉砕され、悲鳴を上げる暇も無く一瞬で絶命した。



(――馬鹿なっ!)
 左から長剣で斬りかかって来た男をすり抜けざまに斬り捨て、パーシファルは天幕を転がり出た。
 天幕の中には襲撃者と、天幕を警護していた騎士達の死体が転がっている。

 静かな野営地に唐突に放たれた殺気――それを感じ取ったパーシファルが目を覚ました時、既に外で戦いは始まっていた。
 手早く武具を身に付けたパーシファルは、突然の事態に混乱する騎士達を天幕内に集め応戦していたのだが、襲撃者は想像以上に多く、途切れることなく向かって来た。
 いくら訓練を受けた正規の軍とは言え、振るわれる刃の数は圧倒的に敵のほうが多い。集中が途切れ、剣先が鈍った者から倒れてゆく。
 このままではいずれ全滅である。残った騎士達に敵を突破し、脱出しろと指示を出したが、敵を斬り伏せて天幕を脱出できたのは、結局自分だけであった。

(奇襲だと!?物見の兵の報告では、周囲に動くものの気配など無かったはず。しかもこれだけの数が、誰にも気づかれることも無く……そんな馬鹿な話がっ!?)
 見回すと、トリストラムやセシリア揮下の陣からも悲鳴と火の手が上がっている。
 ここと同様の事態が起こっているのは、間違いないだろう。
(野営地全体が同様の襲撃を受けている……ということは、私をピンポイントに狙った襲撃ではないのか?)
 これは明らかに、「敵将を暗殺しに忍び込んだ一団」という規模の話ではない。野営地全体がここと同じ状況にあると仮定すれば、襲撃者の数は1000を下らないだろう。
 周囲に転がっている死体は圧倒的に襲撃者のものが多いが、騎士達の死体も少なくない。更に必死に応戦している騎士の中には、鎧すら身に付けていない者も多い。果たして彼らがいつまで持つのか。

(兵が混乱したこの状況ではまともに戦うことなど不可能。ならば)
「総員、野営地を破棄し、退却せよ!北東の森まで引け!」
 そう叫びつつ、パーシファルは若い兵士を背中から鉈で斬りつけようとしていた敵を蹴り飛ばし、その勢いのまま心臓に剣を突き立てる。
「何をぐずぐずしている!死にたくなければ走れ!」
「は、はいっ!」

 急いで駆けて行く若い兵士の背中を見つつ、パーシファルは内心歯噛みする。
 寝込みを襲われたせいで、指揮系統が全く機能していない。
 退却したくともその指示を出すものが居なければ、基本的に兵はその場で戦う事しか出来ないのだ。
 そしてまとまりを失った兵は脆く、弱い。この様子では損害はかなりの数にのぼるだろう。

「第4騎士団長パーシファルが命じる!各自、戦っている者を見かけたら退却を伝えよ!それがたとえ他の騎士団の者であってもだ!また単独での行動は禁ずる!騎士、兵士を問わず集団で行動、応戦しろ!」
「は、はいっ!」
 パーシファルの指示に従い、その場で応戦を続けていた兵士達は、じりじりと退却を開始する。
「はっ!」
 彼らの退却を援護するように、パーシファルはその場に立ち塞がり、退却する兵士に切りつけようとする敵を長剣で切り伏せた。続いて、脇を走り抜けようとした敵に脚払いをかけ、倒れた背中を踵で踏み砕く。
 敵は着ている物もバラバラで、鎧を着ている者はほぼ居らず、また個々の戦闘能力も大したことは無い。騎士団がもし鎧をちゃんと着た上で正面からぶつかったとすれば、死傷者が出るかどうかすらも怪しい相手である。

(この程度の相手に不覚を取るとは……っ!)
「団長殿!我々も退却を!」
 駆け寄って来た中年の騎士が叫んだ。本来彼と共に歩むべき軍馬は、既に背後で息絶えている。
 本心を言えば、セシリアやトリストラムの陣に駆け込み、退却を指示して回りたい。
 しかしセシリアやトリストラムが生きている保障などどこにも無く、むしろこの混乱の中で殺されていたとしても、全く不思議ではない。
 ここで自分まで死んでしまえば、指示系統を失った兵達が立ち行かなくなってしまう。

「……勿論です。さあ、残った者は私に続け!周囲の警戒を決して怠るなよ!」
 そう一喝し、パーシファルも北東に向かって走り出した。
 二人の事は心配だが、パーシファルにも兵の命を預かる者としての責任がある。
(くそっ……セシル、トリストラム殿、どうかご無事で……!)





 明朝、北東の森。

 結局この地に集まった兵士達は、今だぽつぽつと辿り着く者は居るものの、およそ1000人程度であった。
 当初の人数からすれば、実に5分の1と言ったところである。
 その中には、セシリアの第5騎士団の証である赤布を巻いた騎士や、トリストラムの第6騎士団の紋章を付けた鎧を着ている兵士も居る。
 夜半の突然の襲撃に、周囲は味方とはいえ見知らぬ者達。彼らは皆一様に不安の表情を浮かべ、指示を待って待機している。

 彼らの表情が向く先は、柵で囲んだだけの急造の陣中に張られた一つの天幕。その中でパーシファルは軍議を開いていた。

「生き残った物見の兵の話では、野営地の外には一切敵影は見えず、いきなり中で悲鳴が上がったとか」
「私も聞きました。それが一人ならまだしも、生き残った物見全員が同じ事を言うのですから。おかしな話ですよ、全く」
「奴ら、一体何処から現れたんでしょうか……いきなり現れるなんて、魔法か何かの仕業としか思えませんよ!」
「魔法だと?何を下らん事を………」

 この場に居合わせているのは、第4騎士団の面子だけでは無い。
 ここへ逃げて来た第5、第6騎士団の副官クラスの者は全員参加していた。
 事ここに至ってパーシファルは所属の違いなど気にするつもりは無かったし、意見は多い方が望ましい。もしこれが規律と形式をひたすら重んじる聖堂騎士団の軍議であれば、たとえ参加者が一人になろうとも他の騎士団員を加える事などあり得なかっただろう。

「奴らがどうやって現れたかは、この際どうでも良いでしょう」
 パーシファルが発した声に、喧々諤々と論じていた騎士らは口を閉じ、パーシファルの方へ向き直る。
「どうでも良い、というのは少々違いますね。この事に関しては後日、改めて考える必要があります。
 しかし現状では、この先どう動くかを決める事が先です」
「それは……しかし!」
 髭面の恰幅の良い騎士が不満の声を上げたが、パーシファルはそれを手で制して続ける。
「皆さんが不安なのは重々承知しています。理が通じぬ出来事、確かに奇妙でしょう。
 しかし我らが任を帯びた軍である以上、奴らを殲滅し、任務を全うしなければ、故郷へ帰ることすら許されないのです」
「………」
「幸いにして、敵はそこまで非常識ではないようです。剣を刺せば死ぬし、一人一人の練度はさして高くない。
 これは私見ですが、今ここに居る1000名がまともに進軍すれば、十分殲滅できるでしょう」

(私とて、不安なのですがね……)
 冷静な表情を崩さないパーシファルだが、その内心は他の軍議参加者達と同じだ。
 1000名の兵力と言えばまだ勝ち目のある戦のように聞こえるが、軍隊において全体の5分の4もの兵を失う事は壊滅と言って差し支えない。損耗率の観点からすれば、全体の3分の1の兵を失った時点でその軍は軍足り得ないとされているのだ。その上敵の得体は知れぬまま、兵達は不安に駆られて浮き足立っている。果たして戦えるだけの士気が残っているのか。
 もっとも、北東の森に退却するよう伝えられたのは、第4騎士団の陣付近に居た者だけである。そう考えれば生き残りの兵はまだまだ沢山居るかもしれないが、現状で動かせる兵力は泣いても笑っても1000である。他の者との連絡が取れない以上、この人数で何とかするしかないのだ。

「しかし、また奇襲されたらどうするのですか!もう一度あのような襲撃を受ければ、今度こそ我らは全滅ですぞ!」
「それは侵攻せずとも同じ事です。なればここで燻ぶっているよりは、攻め込んだ方がリスクは少ないでしょう。
 それに二度同じ手口を使われた所で、ここに居る兵達にとっては一度経験した事です。多少の混乱は起こるでしょうが、十分対処は可能だと考えます」

 実際にはもう一度襲撃を受けたらどうなるのか。それは誰にも分からないが、パーシファルはあえて断定的な口調で話す。
 無理やりにでも皆の意識を反攻に向けなければ、勝機はどんどん失われてしまうのだ。
 それを感じ取ったのか、反対意見を述べていた騎士達も口を閉ざし、その目に決意を浮かばせる。
「……では再編を開始しましょう。
 第5、第6騎士団の方々に関しては、一時的に第4騎士団に統合させて頂きます。
 主の居ない従士、また従士の居ない騎士に関しては人数の平均化を行い……」


―――


(鎧を着ていない兵士が目立ちますね)
 指示を出し終え、再編が終わるまでの間、パーシファルは兵達の様子を見回っていた。
 鎧はその構造上、着るのに時間が掛かる。奇襲を受けた際、殆どの者は応戦する為に剣は携えていたものの、混乱の中退却してきた彼らに鎧を着る余裕は無かったのだろう。
(馬も、少ない)
 軍の再編を見つつ、自軍の編成を頭に叩き込む。
 逃げるのに精一杯であった多くの騎士達は、自分の馬を失い、また置いて来てしまっていた。
 パーシファルの愛馬にしても同様であったが、流石に軍団長が馬に乗らないわけにも行かず、混乱の中連れ出す事の出来た数少ない馬のうち1頭はパーシファルに充てられている。
 残りの馬も騎士達へと充てられたが、騎士の数に対して馬の数はあまりに少ない。残った者は下馬した状態で進軍せざるを得ないだろう。

「人員の再編は終了しました!しかし……鎧を着ていない者が多く……」
「鎧は最前列に立つ騎士及び従士へ優先的に。余った分は歩兵に回し、鎧を着た者のみを次列へ配備して下さい。」
「はっ!」
「また、鎧が行き渡らなかった者には、余った弩を渡して下さい。この際使った事があるかどうかは問いません」
「はっ……しかし、弩の数が足りませんが……」
「では残った者は剣を持ち、弩兵に同行させて下さい。彼らの護衛及び背後への警戒に当たらせます」
「了解しました!」

 接敵を可能な限り鎧を着た者のみに絞るように、編成を進める。
 襲撃者の武器は実に多種多様だったが、鎧の上から撲殺できるような物はそう多くなかった。鎧を来た兵を前線に置くだけで、戦況は随分とマシになるだろう。
 それにこれ以上の犠牲者を出せば、彼らの士気はもう維持できない。機動力や背後からの攻撃に対する弱さに難が残るものの、パーシファルにはこれが最善であるように思えた。

 トリストラム、セシリア、そして旗下の兵達の安否は今だ分からないが、ここで行動を止めてしまえば、遅かれ早かれ先遣の第一、第二、第三騎士団と同じく全滅するのは免れないだろう。

 もう一人たりとも犠牲者を出す事は出来ない。

 涼やかな顔を崩さないパーシファルの目に、静かに炎が灯った。




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